歌謡亭日乗

或る音楽ライターの仕事と日常

門松みゆきさんデビュー直前インタビュー

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 2月27日に「みちのく望郷歌」でデビューする門松みゆきさん。
 先日のデビュー・コンベンションの時に「完成度の高さゆえ、ほころびも見てみたい」なんて勝手なことを感じたのですが、インタビューの機会を得たので、「ほころび」を探ってみようと臨みました。

 まず初めに訊いたのは、10年という長い間デビューを待ちながら修行できたのはなぜだったのか?
「もちろんデビューできないんじゃないか? 諦めようなんて思ったことは何度もありました。でも、私を応援して、デビューするのを楽しみにしてくれている方たちがたくさんいてくださって、歌手になるという夢は私だけのものではなくなっていたんです。だから、皆さんのために夢を叶えなければって頑張ることができました」

 期待や声援に応えるために、諦めることを許されないというのは、かなり辛い状況だと思いますが、彼女はそれを見事に乗り越えました(修行期間中の彼女の気持ちは、舞台を東北に置き換えて「みちのく望郷歌」に綴られています)。
 その原動力になっていたのは、2歳の時に両親と観た北島三郎さんのコンサート。
「言葉の意味はわからないんですが、胸に迫ってくるものがありましたし、帰り際に目にするたくさんの人がみんな本当に楽しそうで、たった一人でこんなに大勢を笑顔にできるなんて、なんて素晴らしいんだろう!って感動したんです」

 2歳では歌が上手かったとか色とりどりの照明がきれいだったとか、そんな感想を持つのが普通ではないかと思いますが、彼女は幼いながらに北島さんのエンタテイナーとしての魅力に着目していたのです。
 現在25歳の実年齢より落ち着いて見える門松さんですが、幼少期より早熟な人だったようです。

 幼くして演歌が好きになるケースでは、家族や周囲に演歌の好きな人がいて、その影響を受けるというのが一般的ですが、門松さんの場合、周りにそういう存在はなく、北島さんに与えられた感動が、彼女をプロ歌手の世界へと導きました。
 成長の過程では安室奈美恵さんをはじめとする小室サウンドが流行するなど、時代の音も流れていましたが、その胸に響くのは演歌ばかりだったそう。門松さんは演歌歌手になるべく遺伝子レベルで運命づけられていた人なのかも知れません。

 インタビューではいろいろな質問を投げかけてみましたが、デビュー前の新人とは思えない反応の好さで、言いよどむことなく次から次へと答えを返してくれました。
 コンベンションでもトークが達者なことは窺えましたが、歌うだけでなく話すことについても新人離れしたものを持っているようです。

 そんな門松さんに「みちのく望郷歌」でデビューする現在の自分を、5段階で評価してもらったところ、答えは「3」。想ったより低かったのですが、全般に自己評価の低い人で、自らに厳しくすることによって成長や飛躍へのエネルギーを蓄えるタイプのよう。
「3と言ったら普通ですけど、伸びしろが大きいと思ってください(笑)」とのことで、笑顔の奥には満々の意欲が感じられました。

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 趣味を訊ねると「人間観察と散歩です。歌が上手い人になるだけでなく、人間として成長したいと思っているので、自分以外の人がどんな生き方や考え方をしているかを見て、少しでも学べたらと思っています。
 散歩は、なるべく身体を動かしたいのと、気持ちがリフレッシュできることから心がけています」。
 他人に学んで自らの向上につなげたいとは、なんて立派な考え方だろうと感心しますが、「歌のレッスンを受ける中で上手くいかないことも多くて、自分自身と向き合う機会が増えたんです。それを重ねるうちに、さまざまな機会に学んだり吸収したりして、改良や改善をしていこうという考え方になりました」

 月並みではありますが、どんな歌手になりたいか訊いてみると「北島三郎さんのような歌手になりたいです!」。← これが25歳の新人の目標とは、演歌・歌謡曲のファンにとって、なんとも頼もしいではありませんか!
 まぁ、なんとも実によくできた人で、1時間ほどのインタビューでは、残念ながら(?)テーマの一つだった「ほころび」は見つかりませんでした。
 「ほころび」なんて言いうと、好くないことのようですが、もちろん短所を見つけたいのではなく、よりユニークな部分、個性的な特徴ということです。

 2月27日(道の駅日光 日光街道ニコニコ本陣 多目的ホール)、4月24日(以降、東京・けやきホール)、5月15日、6月19日と所属の日本コロムビアが主催する『コロムビアマンスリーライブ』に出演。同時に全国キャンペーンで歌謡ファンの方々とふれ合う機会も多数設けられる予定なので、そうした中で彼女の「ほころび」は発見されるかも知れません。その時、周囲ではたくさんのファンが顔をほころばせていることでしょう。

門松みゆき | 日本コロムビアオフィシャルサイト

門松みゆき (@mi_yuki0227) | Twitter

 

『演歌道五十年ファイナル 熱唱!! 渥美二郎コンサート』

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 2月5日、東京・浅草公会堂で渥美二郎さんが『演歌道五十年ファイナル 熱唱!! 渥美二郎コンサート』を開きました。これは、渥美さんが16歳の時に演歌師として歌い始めてから50年が経ったことを記念して行ってきた全国ツアーの掉尾を飾るもので、昼夜2公演に2,000人のファンが詰めかけました。

「男の航路」でステージの幕を開けた渥美さんは、来場者にお礼を述べたあと、「児童虐待死のニュースを聞いてたまらない気持ちになります」と心情を伝え「慟哭のブルース」へ。そこから「昭和ブルース」「山谷ブルース」、さらに「灯りが欲しい」「時代おくれの酒場」と男歌を続けます。初めに「慟哭のブルース」を持ってきたのには、幼い命が失われた悲しみに、何とかしなければいけないという渥美さんのメッセージが込められていたように思います。

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 代表曲には女歌が多い渥美さんですが、ご本人は実に男っぽい人で、序盤のこのコーナーではそんな人柄が歌で表現されていました。それが最も強く感じられたのは「傷だらけの人生」。そのセリフなどから主人公が任侠の世界に生きているらしいことが察せられる作品ですが、渥美さんはオリジナルの鶴田浩二さん同様に余計な力を入れることなく、淡々とした調子で歌って潔癖な印象を与えます。そして、だからこそなおさらに日陰者の寂しさが感じられて、胸に沁みるものがありました。今、この歌を最も魅力的に聴かせる歌い手は渥美さんではないかと思います。

 そのあと客席に降りた渥美さんは、ファンからのリクエストに応えて「お富さん」「別れの一本杉」「有楽町で逢いましょう」を披露。清々しい歌声が、いわゆる懐メロに見事にマッチして、それぞれの歌が流行った時代の空気が甦るような気になりました。

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 渥美さんがステージに戻ると、ゲストの来世楽(らせら)が登場。以前に共演した時に、彼女たちの実力と姿勢に応援したい気持ちになったということで招かれた二人は、2001年の結成から関西を中心に活動してきました。
渥美さんとの共演で「斎太郎節」「黒田節」「ソーラン節」、二人の歌と演奏でオリジナル曲の「陸奥」と喜納昌吉さんの「花~すべての人の心に花を~」が披露されましたが、迫力ある三味線の腕前、伸びやかでパワフルな京極あつこさんの歌声は、渥美さんのお墨付きも納得のレベル、ますますの活躍に期待したくなりました。

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 その後は司会の青空キュートさんの紹介トークを交えながら代表曲の数々が歌われてラストは最新シングル「涙色のタンゴ」(途中には渥美さんのピアノ演奏も)。客席にはこの曲を競作している叶やよいさんがいて、渥美さんは来場者に彼女を紹介。このあたりの気遣いには渥美さんの後輩に対する面倒見のよさが窺えました。
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 いったん幕が下りましたが、すぐさまアンコールがかかり、再び登場した渥美さんは「好きな歌を50年も歌ってこられたのが一番ありがたいことです。途中、胃がんになって、もう駄目かと思ったこともありましたが、あれから30年。ファンの皆さんのお蔭で生かしてもらえているんだと思います」と改めて感謝の言葉を述べ、闘病中のベッドで自ら作った「なみだの花」と、気に入っているというシンガー・ソングライター岩渕まことさんの「永遠鉄道」を披露。さらに客席にいた岩渕さんをステージに招き、二人で同曲を歌いました。応援したいと思ったら、本気でとことんやる、そんな渥美さんの姿勢が、この日も来世楽の二人や岩渕さんとの歌を通して見られました。

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 初めに渥美さんは男っぽい人だと言いましたが、こういう義理堅く人情に厚いところこそが、そう感じさせる理由であり、またそういう人だからこそ、阪神淡路大震災で被災した子供たちを支援するために一人で始めたチャリティー・コンサート『人仁の会』が、賛同者を増やしながら今年25回目を迎えるまで続けてこられたのだと思います。

 終盤に「奥の細道」を歌うに際し、病床にあって弟子に辞世の句を求められた松尾芭蕉が「平生すなわち辞世なり」と答えたという逸話を紹介し、「僕もそれが最後になっても悔いが残らないように、一つひとつの舞台を大事に歌っていきたい」と話した渥美さん。この日のコンサートは、まさにその意識に貫かれた、味わい深く潔い2時間でした。
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 田端義夫さんが晩年「歌にはけれんがあったらいかん」と盛んに言っていましたが、渥美さんは、間違いなく昭和の大スターの心を今に歌い継いでいる歌手の一人だと、この夜改めて実感したのでした。

◆ 曲目
男の航路
慟哭のブルース
昭和ブルース
山谷ブルース
灯りが欲しい
時代おくれの酒場
傷だらけの人生
お富さん
別れの一本杉
有楽町で逢いましょう
斎太郎節
黒田節
ソーラン節
情熱のルンバ
※ ピアノ演奏
ラ・クンバン・チェロ ~ ベサメ・ムーチョ
※ 来世楽
陸奥
花~すべての人の心に花を~
釜山港へ帰れ
霧の港町
哀愁
他人酒
忘れてほしい
夢追い酒
奥の細道
涙色のタンゴ
アンコール
なみだの花
永遠鉄道

 

2月27日、門松みゆきさんが「みちのく望郷歌」でデビュー

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 2月27日、“コロムビアが送り出す平成最後のニューフェイス”門松みゆきさんがデビューします。


 デビュー曲は師匠の藤 竜之介さんが作曲、石原信一さんが作詞した「みちのく望郷歌」。長い黒髪が印象的な美人で、着物ではなく洋服で歌うようですが、「みちのく〜」は、見た目からは意外な、和風の濃い演歌。三味線の音や♪ホーヤレホーという言葉と共に、門松さんの真っ直ぐな歌声が胸に届きます。


 1月22日には東京・渋谷のパセラリゾーツ・グランデでデビュー・コンベンションが行われましたが、会場には100名を超えるマスコミ、業界関係者が集まり、近年では珍しい盛り上がりに、門松さんに賭けるコロムビアと周囲からの期待の大きさが窺えました。


 2歳の時に観た北島三郎さんのコンサートに感銘を受けて歌手を志し、高校卒業後に藤さんに弟子入り。カラオケ店でアルバイトをしながら歌ったり、第一興商のカラオケ・ガイドボーカルを務めたりしながら歌唱力に磨きをかけた門松さん。
 筆者は2016年に藤さんのご自宅に取材に伺った際に、弟子として紹介されたのですが、当時すでに修業は7年に及んでおり、以前に比べてデビューが難しくなっている状況から、彼女が念願を叶えられるかどうかについても楽観はできず、しかし、歌手への夢を語る瞳の輝きに、応援したい気持ちになりました。
 それから月日は流れて、ある日受け取った新人歌手デビューの案内を見た時に、門松さんがついに目指してきたスタートラインに立つことを知り、とても嬉しい気持ちになったのです。

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 コンベンションでは「みちのく望郷歌」、カップリングの「濡れてめぐり雨」の他に「もう一度逢いたい」(八代亜紀)、「祝い酒」(坂本冬美)、「涙の連絡船」(都はるみ)、「圭子の夢は夜ひらく」(藤 圭子)が披露されましたが、周りの記者の口からは思わず「上手い!」という声が洩れるほどで、彼女の実力の高さが実感されました。
 
 ステージでは他に、三味線の腕前も示されましたが、バチを叩く姿が実にかっこよく、松村和子「帰ってこいよ」、長山洋子「じょんから女節」に続く、立ち弾き演歌の代表曲が現れたのを感じました。

 長い修業中に様々な経験を積んだこともあるでしょうが、新人にしては歌にしてもしゃべりにしても完成度の高い印象。根性もありそうですから、演歌・歌謡曲は相変わらず厳しい環境にあるものの、それに負けることなく我が道を切り拓いていってくれそうです。

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師匠で作曲家の藤 竜之介さん(右)、作詞の石原信一さん(左)と

 最後に一つ希望を言うとすれば、あまりの完成度の高さゆえ、ほころびも見てみたいということ。新人ゆえの緊張がほぐれて徐々に素顔をのぞかせられるようになれば変わってもくるのでしょうが、整いすぎた美形の顔のほくろのような、愛嬌や親しみやすさにつながるアクセントが見つかると言うことなしという気がします。もちろん、そのあたりはこちらでも探しながら、これからの活躍を追っていけたらと思います。

純烈・友井雄亮さんの引退に思う

 昨日、純烈のメンバーだった友井雄亮さんが、グループ脱退と芸能界からの引退を発表しました。

 まず感じたのは、発覚から脱退・引退表明までの時間の短さです。
 暴力、多額の金銭問題、不倫と友井さんがしてしまったことはもちろん赦されるものではありませんが、罰を軽減する方途はなかったものかという気持ちが残っています。

 政治家や大企業が罪を犯したり失態を演じたりした場合、まず伝えられるのは「訴状の内容を確認してから対応いたします」とか「警察が捜査中のため回答は差し控えさせていただきます」「担当者不在のためお答えできません」といった、ほとんどは時間稼ぎのためと想われる対応です。

 単に往生際が悪いだけという例も少なくないでしょうが、そこで時間を得たことによって、よりよい答えに辿り着いたケースもあるはずで、友井さんの場合もこうした時間が設けられてもよかったのではないかと思います。

 所属事務所に同様の経験がなく、浮き足立ってしまったために、一旦は5人で会見を行うと発表しておきながらキャンセルして、後日、友井さん一人で謝罪の席に着くことになるなどの不手際がありましたが、まずは誠意を示さなければという意識から生じたことでしょうから、これを責める気にはなりません(プロである以上、多くのマスコミを巻き込んでしまった上でのキャンセルが非難されるのも当然のことではありますが)。
 ただ、その後も時間と心の余裕がないまま、奔流に運ばれるように「脱退・引退」という結論にたどり着いてしまったという印象を拭えません。

 友井さんが出した答えによって、被害を受けたとされる女性たちは本当に救われたのか?と考えると疑問が残りますし、誰が幸せになったのだろう?と考えても、無責任な一般人や一部の正義感を気取ったコメンテーターが留飲を下げたり、仕事の達成感を覚えたりといったようなものだったのではないかと思ってしまいます。

 刑事事件の場合だって加害者には弁護士が付き、相応の時間をかけて審理がなされ、情状酌量の余地もあるのに、今回は個人間の問題がなぜこんなに速く、しかも最善とも思えない形で決着することになったのか、どうもすっきりしないものが残っています。

 人気商売の世界でDVや不倫が致命傷になりかねないことはわかりますが、まず相手に与えた傷を癒すことを考えるなら、単に「辞める」という決断を下すことが正しかったのかどうか? 一人の女性の3千万円というお金を遣ってしまった件については、別の人に借りて返したということですが、これを返済するのも大変でしょう。謹慎して心を改め、償いのために精進し、そして応援し続けてくれたファンに恩返しをしていくという途を選ぶことはできなかったのだろうかという気持ちが消えません。

「悪いことをした奴は責任を取るべき」という考え方は外れていないと思いますが、では今回の結論で友井さんは、応援し期待してくれていたファンへの責任については、どう考えたのでしょう? 決して責めるつもりではありませんが、そこもよく考えてほしかったと思います。

 言うまでもなく人間は多面性を持った生き物であって、誰もがサイコロのようなものだと思います。相手によって出す目を替えて生きている。DV加害者を糾弾しながら、日常的に速度違反や信号無視をしているドライバーや歩行者は数え切れないほどいるでしょう。6面全てが「正義」や「潔白」で出来ている人間なんてほんの一握りではないかと思います。逆を言えば、3つの面が黒いからと言って残りも黒いとは言い切れないわけで、そこには改善更生の余地もあったはず。

 職を失っても自由がある分、収監されるよりマシという考え方もあるでしょうが、刑務所に入る前には裁判があります。そういう手続きもなく、一人の有能で有望なタレントが消えてしまったとしたら、自業自得とは言え残念でなりません。

 友井さんというサイコロの愛すべき面に接したことがある者としては、友井さんのこれからの人生が後悔ばかりにならないことを心より願っています。

「会津追分」で飛躍する森山愛子さんへの期待

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  先日の「紅白」出場決定の報せを以て、純烈は確実にスターへの階段を昇り始めたと言えるでしょう。
 昨日のブログで、「紅白」出場までに8年を要したと書きましたが、いわゆるブレイクまでにどれくらい掛かるかは人それぞれと言うしかなく、そこには何か法則がありそうでいて、実は運次第というのが現実だと思います。
 氷川きよしさんのように、演歌が売れない時代にデビューしながら、その年に初出場してしまったシンデレラ・ボーイとでも呼ぶべき存在もあれば、デビューから「紅白」まで23年かかった、天童よしみさん、市川由紀乃さんの例もあります。

 例えば歌手の売り出し方は、初めて扱う食材を、どんな方法や味付けが最適であるかを探りながら調理するようなもので、参考例はあっても正解は新たに見つけるしかないので大変です。

 森山愛子さんは2004年にプロ歌手活動を開始。当初から高い歌唱力で注目されていましたが、なかなか期待に応えうる実績を上げられずにいました。
 森山さん本人は演歌が好きで、歌の師匠である作曲家の水森英夫さんも演歌で大成してほしいと願っていましたが、なかなか最高の料理に仕上げる方法が見つかりません。
 和食から韓国料理、洋食へと料理の幅を拡げるように、近年は歌の幅を拡げ模索していましたが、デビューから14年、年齢も三十路を過ぎて大人の心情を無理なく表現できるようになった昨年9月に発売されたのが、和食中の和食と言える「会津追分」でした。
 タイトルからわかるように会津を舞台にした、いわゆるご当地ソングで、この手の歌のほとんどと同様に、失恋してひとり、傷心を抱えて旅する女性の心情を歌っています。
 形式としては新しいとか珍しいとかいった点は全くありません。
 しかし、先の料理の例えを使えば、熟成加減や調理法、味付けが見事に食材に合っています。
 そしてそれはさらに、以前に口にしたことがあるはずの料理なのに、今までに食べたことがないような味わいだったのです。

 抜群の歌唱力を持ちながら、森山さんに唯一足りないと思っていた艶がこの歌には感じられ、それが説得力や共感を呼ぶ材料につながったのでしょう。発売年である2017年度上半期のDAM演歌カラオケランキングでは18位という高位を記録しています。
 1位が「津軽海峡・冬景色」、2位が「天城越え」で、3位が「酒よ」であるように、これは過去の作品もすべて含めたランキングで、昨年以降に発売された曲に限れば、大月みやこさんの「流氷の宿」に次ぐ2位ですので大変な躍進と言えます。
 CDの売り上げデータを見ても、過去最高を記録しており、いよいよその真価を世に問う時がやってきたと思えるのです。

 以前から、屈託がなく思いやりのあるとてもいい人ですが、屈託のなさが、人生の陰影や機微を表現する時には弱点だったのかも知れません。それが年齢を重ねて、晴れも雨も知り、日向だけでなく日陰をわかったことで「会津追分」が生まれたように思います。
 そうだとすれば、次作への期待は増すばかり。そして、それに応えるだけの歌唱力は備えていた人ですから、これからの活躍を楽しみにするばかりです。

 

森山愛子オフィシャルサイト

森山愛子オフィシャルブログ

森山愛子 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN

純烈、“紅白”出場の夢を叶える

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 不自然とも言える暖かさが続いていましたが、今日は冬らしく空気の冷たい一日でした。いよいよ今年も終わりに近付いているのを感じますが、すでにNHK紅白歌合戦の出場者も発表になっているのですから当たり前と言えば当たり前の気がします。
 
 初出場のDAOKOさん、あいみょんさんも楽しみですが、やはり初出場で注目したいのは純烈の皆さん。2010年のデビュー以降「夢は紅白!親孝行!」のスローガンのもとに活動してきましたが、8年で夢を叶えてしまったのですから大したものです。

 

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純烈(前列左から後上翔太白川裕二郎友井雄亮、後列左から小田井涼平酒井一圭 


 ご存じの方も多いでしょうが、彼らは5人中4人が、戦隊ヒーローものドラマに出演していた経験を持つ元俳優で、現在の活躍の場である歌謡曲の世界とはほとんど縁のないメンバーばかりで活動を始めました。
 
 しかし、当初から中高年を対象に、歌謡曲を歌うという方針は固まっていて、その上で“紅白”出場を目指すことも、冗談ではない本気の目標として設定されていました。
 
 とは言え、歌謡界における強力な後ろ盾があるわけでもなく、まさに手探りで目標を目指す日々。彼らのホームグランドとなった健康ランドに出演するようになったのも、想うような活動ができない中で、歌える場を求めて行き着いた結果であり、知名度の高くない歌手の主な活動の場であることから、周囲からは「出演するのは控えた方がいい」という助言を受けたこともあったとか。
 
 それでも、その場を去ることなく、浴客を相手に歌い続けたのは、リーダーの酒井一圭さんが立てた戦略のため。歌謡曲を愛する中高年とふれ合いながら、自分たちの存在を知ってもらい、ファンを増やすのに、それは最適な場だったのです。
 
 そして、いつしか純烈が出演する健康ランドには、入浴よりも彼らを観ることが目的の人々が多く集まるようになりました。
 
 2015年にはCS歌謡ポップスチャンネル発の演歌男子。ブームに乗って、さらに人気を拡大させ、単独でのホール・コンサートでは個々のキャラを明確に打ち出しつつ、グループとしての存在感を大きなものにしてきました。
 
 メインでステージを務める力を持ち、多彩な魅力を披露しつつ、笑いのセンスも発揮できる、かつてのクレージーキャッツドリフターズのような存在にもなり得る5人は、昨年あたりからメディアで取り上げられることも増えて、いよいよ頭角を現してきたことを実感させていましたが、ついに今年、決定的な評価を得るに至ったのです。
 
“紅白”でも披露されるであろう最新曲の「プロポーズ」は、メンバーの一人である小田井涼平さんが、昨年LiLiCoさんと結婚していたことから、二人のイメージに重ねられることが多かったのですが、実際は、純烈から“紅白”へのプロポーズだったわけです。

 念願を叶えたことは実に喜ばしいことですが、5人の面白さを知るには“紅白”の出演時間では短すぎます。興味を持った方には、ぜひ、コンサート会場や、ショーの開かれる健康ランドに足を運んでいただきたいと思います。

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 さて、今年の“紅白”、演歌・歌謡曲の出場者は、昨年より一人少なくなりました。
 ともに2年続けて出場していた市川由紀乃さんと福田こうへいさんが外れました。
 10月下旬までのCD売り上げを見ると、氷川きよしさん、山内惠介さん、純烈の皆さんに次いで福田さんは4位、5位の水森かおりさんに続く6位が市川さんです。“紅白”の選考基準は「今年の活躍」「世論の支持」「番組の企画・演出」を加味したものということで、先の2つに関しては市川さん、福田さんともに不足はないはず。となると、2人が外れることとなった「番組の企画・演出」がどんなものなのかとても気になりますが、これは3つの材料の中で最も曖昧で、恐らく万人が納得できるようなものではないと思います。ある時期から“紅白”にうっすらと灰色が混ざっていることは国民の多くが感じているところであり、取り敢えず一年を締めくくる最大級の歌謡番組という位置付けにはあるものの、絶対的な存在というわけではありません。観るも観ないも個々の勝手ですから、不満を募らせることにはあまり意味がありません。
 
 NHKとしては、若い層にきちんと受信料を納めてもらうためにも人選に頭を悩ませているようですが、まだまだ中高年も大事にすべきですから、演歌・歌謡曲枠を削るなら、1時間増やして前半を若者向け、後半を中高年向けにするとか、30日に若者向け、大晦日に中高年向けというように2日に分けて行うとかの番組作りを考えてもいいんではないかと思うのですが…。

「忘れ傘」を歌う花見桜こうきさんに期待

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 10月20日に東京・北とぴあドームホールで『幸の恩返し’18~満天の演奏会~』を開くダウトの幸樹さん。
 翌日には原宿ラフォーレミュージアムで『-幸樹生誕祭- 超!幸の恩返し’18』を開催し、28日には台北で開催の『JAPAN VISUAL CULTURE FESTIVAL!! D=OUT CHARITY ONE MAN LIVE 「 加油!台灣!」』に出演、11月6日からは『ダウトvs GOTCHAROCKA vs xxx presents. 「仏の顔も四つまで」』で名古屋・大阪・仙台・東京を回るなど、年内は12月27日の『幸樹fes:忘年会だよ全員集合!』(東京 池袋EDGE)まで、とにかく忙しくスケジュールをこなしていますが、ビジュアル系ロック・バンドのボーカルとは別の、もう一つの顔が、演歌・歌謡曲をうたうソロ・シンガー、花見桜こうき。
 9月5日に2ndシングル「忘れ傘」をリリースして、こちらのプロモーションにも多忙な毎日を送っています。

www.youtube.com 


 ビジュアル系ロック・バンドのメンバーでありながら、演歌・歌謡曲の歌手というと最上川 司さん(THE MICRO HEAD 4N'Sのドラマー・TSUKASAとしても活動中)を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうが、花見桜さんは最上川さんと二人で『最上桜劇場』と題した公演も行っている注目の異色歌手です。

 ロック系のアーティストには、その音楽の性質上、過激な人物像をイメージする方も多いでしょうが、最上川さん同様に花見桜さんもとても真面目な人。葛藤や模索を重ねながら、自分の好きな歌の道を歩んでいます。

「ソロー・デビューした頃は、自分から演歌・歌謡曲の方へ寄せていっているところがあったんですけど、この3年半の間に、メッキはどうせ剥がれてしまうから、それはやめようって決めたんです。
 自分が本当に思っていることじゃないと、リスナーには届かないし。ダウトでも古い曲はやりたくないって思うんですけど、それは何年も前の自分と今は変わっていて、昔の歌に書かれてることは、今と同じじゃないからなんです」

 ファンに、そして自分と真摯に向き合うあまり、辛くなってしまうこともあるのでは?などと余計な心配もしたくなりますが、
「誰かに似ているって言われた時点でアーティストとして終わりだし、花見桜こうきと言えば…というものがないと埋もれてしまうと思っているので、賛否の否も寄せられることを怖がらずに攻めていきたいですね」と話すように、自らに厳しい姿勢を貫いています。

 2015年に「アイラブ東京」でソロ・デビューした頃は、慣れない演歌・歌謡曲の世界で手探りしながらの活動だったようですが、3年を経て状況がつかめ、考え方も変わってきた様子。バンド活動とソロの違いについて訊いてみると、
「以前はありましたけど、なくしました。ジャンルで分けると可能性を狭めると思ったので。ビジュアル系ロックをやりながら、演歌・歌謡曲をうたうのは珍しいと言われますけど、僕にとっては特殊なことじゃないんで、ジャンルじゃなくて作品で評価してほしいと思ってます」という答え。より自分らしい表現に近付けているようです。

「ロック」という言葉から想像される音楽は、人によって様々でしょうが、ダウトのロックには日本的な要素が多く、自ら楽曲を作り、ボーカルとして活動する幸樹さんが、花見桜こうきとして歌い始めたことにも納得できる、演歌・歌謡曲との共通性を感じさせます。

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 花見桜さんの音楽体験を訊いてみました。

「小さい時は、母親がカラオケ好きだったので、その影響で演歌や歌謡曲を聴いていて、自分自身では、小学生の時だったんですけど、長渕剛さんを最初にいいなと思って、ギターを弾くようになって、その後はミスチルLUNA SEA椎名林檎さんって感じですね」

 演歌・歌謡曲に関心を抱くようになったのは、音楽活動を続ける中での積極的な情報収集によるもののようで、
「ミュージシャンとして、過去や現在に流行っているものを知らないというのはちょっと違うなと思うので、演歌・歌謡曲についてもオムニバスのCDをいろいろ聴いたんです。コードの使い方とか言葉の選び方とか、とても勉強になりました」と話しますが、このあたりにも花見桜さんの真面目さが感じられる気がします。

 オフにはいろいろな音楽に触れて刺激を受け感性を養っているようですが、歌謡曲について訊ねると、次のような答え。
「『秋桜』『渡良瀬橋』『カローラⅡに乗って』『トイレの神様』…、いろいろ聴いていると、詞に感銘を受けたり、シンプルな構成の中にも広がりや奥行きを感じられたりして、音楽の可能性を感じますよね。そして、作り表現する人間の一人として、自分でもワクワクしてきます。
 最近はチャランポランタンが好きなんですけど、ミュージカルにも通じるような豊かな表現が素晴らしいと思います。
 そういう音楽に触れて影響を受ける中で、例えば、以前はリズムとかピッチをとても気にしていたんですけど、今は、曲を流して歌詞を、歌うのではなくて読むだけでも伝わるものがあれば、それが理想じゃないかなんて考えるようになって、自分が表現することについてとても楽な気持ちで向き合えるようになったんです」

 受けた刺激や重ねた経験の中で得たものが、今の花見桜さんの表現を生んでいるわけですが、愛した人が忘れていった傘をモチーフに追憶を歌う「忘れ傘」に、従来の演歌・歌謡曲のイメージを超える"らしさ"が感じられる点に、アーティストとしての順調な成長ぶりを窺うことができます。

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花見桜こうき「忘れ傘」(通常盤)


 ソロ活動を始めて以降はショッピングモールなど、それまでに出演したことのない場所で歌うことも多くなったそうですが、そこで感じること、知ることが、さらにその成長に拍車をかけます。
「ショッピングモールなどで歌っていると、僕を知らない方にも足を止めていただけるので、演歌・歌謡曲ではカバーが大事だということを実感します(2015年にはアルバム『花見便り~俺の女唄名曲集~』をリリース、『時の流れに身をまかせ』『お久しぶりね』『夜桜お七』などを花見桜流に歌っています)。そして、いずれはカバーされるような曲を作るのが使命だという気持ちを持つようになってきました」

 頼もしい発言に、これからへの期待がさらに高まる花見桜こうきさん。その意欲と情熱で国境もジャンルも飛び越えた音楽活動を展開してほしいものです。
 

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幸樹【ダウト・花見桜】 (@kouki_d_out) | Twitter