歌謡亭日乗

或る音楽ライターの仕事と日常

純烈・友井雄亮さんの引退に思う

 昨日、純烈のメンバーだった友井雄亮さんが、グループ脱退と芸能界からの引退を発表しました。

 まず感じたのは、発覚から脱退・引退表明までの時間の短さです。
 暴力、多額の金銭問題、不倫と友井さんがしてしまったことはもちろん赦されるものではありませんが、罰を軽減する方途はなかったものかという気持ちが残っています。

 政治家や大企業が罪を犯したり失態を演じたりした場合、まず伝えられるのは「訴状の内容を確認してから対応いたします」とか「警察が捜査中のため回答は差し控えさせていただきます」「担当者不在のためお答えできません」といった、ほとんどは時間稼ぎのためと想われる対応です。

 単に往生際が悪いだけという例も少なくないでしょうが、そこで時間を得たことによって、よりよい答えに辿り着いたケースもあるはずで、友井さんの場合もこうした時間が設けられてもよかったのではないかと思います。

 所属事務所に同様の経験がなく、浮き足立ってしまったために、一旦は5人で会見を行うと発表しておきながらキャンセルして、後日、友井さん一人で謝罪の席に着くことになるなどの不手際がありましたが、まずは誠意を示さなければという意識から生じたことでしょうから、これを責める気にはなりません(プロである以上、多くのマスコミを巻き込んでしまった上でのキャンセルが非難されるのも当然のことではありますが)。
 ただ、その後も時間と心の余裕がないまま、奔流に運ばれるように「脱退・引退」という結論にたどり着いてしまったという印象を拭えません。

 友井さんが出した答えによって、被害を受けたとされる女性たちは本当に救われたのか?と考えると疑問が残りますし、誰が幸せになったのだろう?と考えても、無責任な一般人や一部の正義感を気取ったコメンテーターが留飲を下げたり、仕事の達成感を覚えたりといったようなものだったのではないかと思ってしまいます。

 刑事事件の場合だって加害者には弁護士が付き、相応の時間をかけて審理がなされ、情状酌量の余地もあるのに、今回は個人間の問題がなぜこんなに速く、しかも最善とも思えない形で決着することになったのか、どうもすっきりしないものが残っています。

 人気商売の世界でDVや不倫が致命傷になりかねないことはわかりますが、まず相手に与えた傷を癒すことを考えるなら、単に「辞める」という決断を下すことが正しかったのかどうか? 一人の女性の3千万円というお金を遣ってしまった件については、別の人に借りて返したということですが、これを返済するのも大変でしょう。謹慎して心を改め、償いのために精進し、そして応援し続けてくれたファンに恩返しをしていくという途を選ぶことはできなかったのだろうかという気持ちが消えません。

「悪いことをした奴は責任を取るべき」という考え方は外れていないと思いますが、では今回の結論で友井さんは、応援し期待してくれていたファンへの責任については、どう考えたのでしょう? 決して責めるつもりではありませんが、そこもよく考えてほしかったと思います。

 言うまでもなく人間は多面性を持った生き物であって、誰もがサイコロのようなものだと思います。相手によって出す目を替えて生きている。DV加害者を糾弾しながら、日常的に速度違反や信号無視をしているドライバーや歩行者は数え切れないほどいるでしょう。6面全てが「正義」や「潔白」で出来ている人間なんてほんの一握りではないかと思います。逆を言えば、3つの面が黒いからと言って残りも黒いとは言い切れないわけで、そこには改善更生の余地もあったはず。

 職を失っても自由がある分、収監されるよりマシという考え方もあるでしょうが、刑務所に入る前には裁判があります。そういう手続きもなく、一人の有能で有望なタレントが消えてしまったとしたら、自業自得とは言え残念でなりません。

 友井さんというサイコロの愛すべき面に接したことがある者としては、友井さんのこれからの人生が後悔ばかりにならないことを心より願っています。